ふー

精神科と代謝内科、整形外科のお世話になっています。

自損事故、車は大破なのかなぁ?

今日、車をぶっ壊した。
スピードの出し過ぎでカーブを曲がりきれず、
対向車線の進行方向に向きを変えて止まった。
全てのドアと天井に傷がある。
運転席とフロントガラスと左後部座席の奥側の窓ガラスが割れていた。
ドアはガタガタ、ドアミラー消失。


頭を天井にぶつけたときは、頭が下になっていた。
痛かったので、何でヘルメットを被ってこなかったんだろうと、変な疑問が浮かんだ。
切り傷擦り傷なし。
まあ、身体はほぼ無事。
右肩にシートベルトの跡があるので、そこが痛い。


いもうとからしこたまおごられて、膏薬を貼って寝ることにした。
両肩と首筋と右肩部分。


JAFに電話した。
母にも電話した。
双方が現場に到着するまで40分ほどかかった。
その間、散乱していた車の内外のものを分別して仕分けた。


車は古い小さな軽自動車。
修理して使うことは考えなかった。
修理代を出せるなら、中古車を買うた方がましだ。


保険は、車両保険には加入していない。
対人対物のみ。
しまったと思ったが仕方ない。
後悔先に立たず。
備えあれば憂い無し。
転ばぬ先の杖。
注意一秒怪我一生。


まあ、笑い話にしてしまっただけ、良かったと思っている。
もう、これからはスピードは出さない。
ひろじいはひろじい、じいだからじいらしく、安全運転ノロノロ運転にしよう。
安全第一、決してスピードを出し過ぎないようにする。
決めた。
誓う。
ここを訪れてここまで読み進んだ人は、証人になって欲しい。


今日は小正月。
こんな良い日に何という顛末。


実は37年ほど前にも、車に乗ったまま斜面で転んだことがある。
気付いたときにはススキが斜めに立っていた。
ゆっくり横向きに車は斜面で右側に回転して、芋畑の中にドスンと座った。
このときはフロントガラスは全部畑の中に落ちていた。


今日は、天井はフロントガラス側がひしゃげていた。
幸い、フロントガラスは全面ヒビが入っていたが、ところどころ何とかつながっていた。
強いなあと感心した。
運転席側の窓ガラスは全部落ちていて風が入ってきた。


事故ってしまえば、これまでも何度となくあったが、たいていの場合「しまった」と思って落ち込んでしまう。
でも今日は不思議なことに私は、車が止まって落ち着いた瞬間「良かった。生きてる」と思った。
喜びや希望の方が先に出た。
すぐに車に積んである、置いてある、お寺の御札のことを思い出した。
私の檀那寺、菩提寺、えーと何といえば良いのか、私は檀家なのだが、そのお寺さんからいただいた御札。
昨年、大般若会のときもらってきたもの。
それが身代わりになってくれたのかな、と思った、感じた。


私は心の病を得て数年後、祈祷を行う行者と縁があり、当時借りていた家の霊に憑依されていると言われ、お祓いをしてもらった。
その霊はすぐに去ったのだが、その後間もなく、別の低級霊に憑依されたと言われて祈祷を繰り返したが、それを外すことは出来なかった。
その行者以外にも、修験道の法頭や霊験の高いお寺さんにもお願いをしてきた。
今も、あるお寺に除霊祈願をしてもらっているところ。
病気の症状か霊障か、とにかく身体に現れるものは激烈で、医者からは憑依妄想の診断が下されて、統合失調症という病名を得て、依頼、治療を受けている。
主に投薬治療だが、この20年間、薬と、激烈な症状と付き合いながら、日々を過ごしている。
この間、職を辞し、精神障害者2級の年金を受給しながら暮らしている。
7年前に左膝が故障して1年半ほどの松葉杖生活を送っていたが、今では普通に歩くことが出来るようになった。


まあ、比較的大きな怪我なく生きていたのだから、命に縁があったと思っている。
そして、私は今日、死ななかった。
ということは、これから先、どんなことかは分からないが、なにがしかの役目があるのだろう。
それが、一人残った老親、今は健康だが老いぼれたときに、母の守り役を最後まで務めることなのか。
それとも、事務局を務めているイベントに携わることを期されているのか。
はたまた、私の住むこのド田舎の集落でそれなりの役目を担って行けと言うことなのか。
もしくは、私が成せなかったこの家を、この家系の血を、誰かに引き継いでもらうことに道筋をつけることなのか。
皆目見当はつかない。


まあ、ひろじいが天下国家のことを論じても、世の中に影響を与えることはない。
そんなことを期待するものは、人にも神にも仏にも菩薩にも天にも王にも阿修羅にも居るまい。
今日、縁をいただいたこの命、何のためののものなのか、命尽きるまで心の片隅に留め置いていこうと思っている。


つづく・・・