ふー

精神科と代謝内科、整形外科のお世話になっています。

あつかった二月

7月、8月の二月は暑かったし、熱かった。
ラブレターを15通も書いてしまった。
しかし、反応なし。
夏の終わりとともに、あきらめることにしたいと思っている。


スイカも届けた。
今年作ったのは小玉スイカ。
とっても小さい物も含めて計4回、16個届けた。
しかし、反応なし。
スイカでは釣れなかった。
残念。


今年の夏は、良い教訓になった。
何十年ぶりに便箋に字を並べてみた。
なかなか上手くできなかった。
それでも、ワープロ打ちより良いかな。


暗黒の四半世紀から目覚めて、騒がしい夏となった。
朝起きるのも早くなった。
早いときは0時半、遅いときでも4時頃には目を覚ます。
もちろん、早く寝る。
7時に寝るときもあれば、0時に寝ることもある。
平均は9時頃か。


夜明け前の時間は、今のところ有効に使っている。
目覚めからのルーティンは次のとおり。
1.ベッドで左膝のリハビリ。
2.トイレ、歯磨き、洗面、体重測定。
3.体重記録ブログ「ひろじいの計量日報 3桁からの脱出」の更新。

4.公開日記「ひろじいのきまぐれ日和」の書き出し。


あとはパソコンで作業をしたり遊んだり。
パソコンをしないときは、家の中に掃除機をかけて回る。
気が向いたときは、拭き掃除もしたりする。
そして大体4時半ぐらいから、朝のお勤めをしている。


神棚と荒神様の水を替えて、お参り。
仏様の茶を替えて読経、我が家は曹洞宗なので曹洞宗のお経を読んでいる。
般若心経、大悲信陀羅尼、消災妙吉祥陀羅尼、舎利禮文を読む。
御宝号は南無釈迦牟尼仏だけでなく南無皇円大菩薩も唱えている。
お世話になっているお寺さんのご本尊様だ。


5時頃から朝仕事の支度にかかる。
野良着に着替えて、外に出る。
作業の中味は日によって違うが、大体草払い作業が多い。
夜明け過ぎには草刈り機を始動させる。
大体7時半頃まで、2時間ぐらいを目安に切り上げることにしている。


スイカちぎり(収穫)や、畑の耕耘などをする日もあった。
雨の日はほとんど無かったので、朝はみっちり作業をした。
お陰で作業が進んで、仕事を追い越して作業日程に余裕が出てきた。
最初は追われていたが、逆転した。良かった。


荒れた畑を一枚、なんとか畑に戻すこともできた。
ハーブを植えて、販売をしようと考えているところ。
大根畑も準備をして、ゆで干し大根もたくさん作ろうと思っている。
秋以降も頑張っていこうと思う。


こうして、新しいこと、昨年まではできなかったことができるようになったのは、体調が良いから。
そして。気持ちも随分前向きに変わってきたからだと思う。
大げさにい言えば、7月から生まれ変わったと思っている。
それほどまでに、心持ち、充実度が異なってきた。


8月末に、農協の直売所に商品、農産物等を出荷する申し込みをしてきた。
審査に合格すれば、10月から出荷できる。
頑張って出していきたいと思う。
先輩諸氏に学んでいこうと考えている。


私が目指す、目指すと言うほどではないが、のは百姓だ。
農業のやり方は父、母から学んできた。
いわゆる従来型の小規模農家、百姓百品の自給的農家、の作業のやり方。
小さな段々畑をボチボチ耕して、色んな作物を作る。
農薬も使うし、肥料も使う昭和の時代の農業だ。


ハウスなどの施設は無いし、換金作物に特化してもいない。
有機農業のでもないし、これと言った特長はない。
田んぼはない、小さな畑だけ。
土は石ころ混じりの「礫混じり土」だ。
条件は良くない。


それでも、ご先祖から受け継いだ土地だ。
借りている畑もある。
みかんや柿など、果樹を植えているところもある。
それらも含めて、自分のものを活かしていきたい。
理想は晴耕雨読の生活だ。


両親からは幼い頃から、百姓はするな、と言われ続けてきた。
急峻で土地が狭く、土質も良くない僻地で這いつくばって生きてきたご先祖様。
我が家は分家、私で三代目になるが、六代前まで遡ることができる。
父も跡を継いでこの地に残った。
私もこの地に残ったが、勤め人になった。


勤め人生活は20年強で終わり、離職した。
病を得たから。
病の遠因は派遣勤務、直因は憑依。
色々あった。


寿命から言えば人生の折り返し点はとうに過ぎてしまった。
最初の結婚に失敗し、子はいない。
同級生には高校生の孫が居るものもいる
私にとって、今が人生の再スタート。
希望を抱いている。


名前の如く、もう老年だ。
でも、心は少年。
抱く夢、希望は青年。
体力は心身に手負いの傷を持つ、やっぱり老年?
認めたくはないが、・・・。


病を持ちながらだが、百歳までは生きようと決めている。
不慮の事故や、早いお迎えは遠慮したい。
自分の意志で生きることができる間は、生きていこう。
自分の意志ではなく、他の意志によって身体が動く、言葉を発することを体験した私だからこそ、まだまだ生きる価値はあると思うのだ。


暑い日はもうしばらく続くかもしれない。
今年の夏は暑かった、熱かった。
そして私にとって、新しいスタートの季節となる。
いずれかの後、ああそうだったと振り返る夏になって欲しい。